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回龍文化祭
回龍文化祭

回龍文化祭は「一つの心で伝統の中から新たな文化を創造する」というテーマをもとに、議政府伝統文化を市民の皆が一緒に作り出す文化のビジョンを提示する文化祭である。
回龍文化祭は、議政府の代表的な伝統文化の祭りとして、文化芸術都市としてのイメージの構築と伝統と現代文化の調和の中で、市民和合を目指して議政府文化院が1986年から開催してきている。
回龍という言葉は、議政府に回龍寺(フェリョンサ)があり、また、朝鮮太祖の李成桂にまつわる説話が多くあるからである。
回龍寺(フェリョンサ)と呼ばれるようになった理由は、高麗ウ王10年(1384年)に無学大師が複健した後であり、ここには、李成桂とまつわる伝説がある。
1384年、李成桂は無学と一緒に、このお寺に来て3年の間建国のために祈りをしていたが、この時、太祖は今の石窟庵で、無学は尾根の近くにある無学洞窟で、それぞれの祈禱を祈っていたという。
その後、李成桂が東北兵馬使になって遼東に行ったら、無学は一人残って、小さなお寺を建て、自ら作った観音像に彼の栄達を祈ったが、王になった李成桂がここまで無学を訪ねたので、名前を回龍寺(フェリョンサ)と改称した。
これは、国王になって戻ってきたという意味だ。
また、一説には太宗3年(1403年)の太祖が、咸興差使らのしつこい努力にもかかわらず、帰ってこなかったが、無学大師が説得したら怒りを収めて帰京したという。
帰京した後、このお寺まで無学を訪ねて来たと言う。この際、無学が回鑾(還宮)龍嘉(太祖が乗っていた馬車)を見て喜び、回龍寺(フェリョンサ)としたという。
このように議政府は、李成桂が王になって帰ってきたという物語と非常に密接に関連している。
ですから議政府市を代表する文化祭を「回龍文化祭」と命名した。